適応障害・心身症・過敏性腸症候群の原因を探る:指導内容が毎回異なり、キャパを超えてしまった

2022年5月下旬、妻の勧めで病院に受診したところ、適応障害・心身症・過敏性腸症候群と診断され、その日から私は自宅警備員へと配属となりました。

この記事では、私が適応障害を発症するまで、また自宅警備員になってからの生活、社会復帰に向けての活動などを書いていこうと思います。

同じような症状で悩む方への一助になればと思います。

以下の記事でも適応障害を発症したときのことをまとめています。合わせてご覧いただけると嬉しいです。

指導員ごとに仕事の教え方が違ったため、何を実践すれば良いのか分からなくなった

前回は私が適応障害になったと思われるターニングポイントである4月中旬を一つの基点として、その前後の生活スタイルの変化について書きました。

今回はまた別の視点で適応障害の発症に後押ししたと思われる原因についてまとめていきたいと思います。

そこで当記事では出向が始まった私に仕事を教えてくれることになる指導員に焦点を当ててみていきたいとおもいます。

MEMO
今回の記事では研修を担当してくれた指導員に焦点を当てています。
しかし適応障害の発症原因をこれら指導員にしたいわけではありません。
現場の誰一人として何をどこまで教えたら良いのかを知らされていなかったことが問題だと思っています。

指導員によって異なる教え方にとまどう

私が赴任した部署では主に3人の指導員が私とペアを組んで仕事を教えてくれることになりました。

  • Aさん:中堅ながら◯◯産業内でも問題行動が多い。仕事は自己流で基本は教えてくれなかった
  • Bさん:1番の古株で、「なんとかなるっしょ」の結果オーライ型ですが、しっかりと仕事は教えてくれた
  • Cさん:一番基本に忠実な仕事のやり方を教えてくれましたが、少し口が悪く、怒鳴られてばかりいた

このように私に仕事を教えてくれる指導員は3人でした。

出向するにあたって◯◯産業の社員からは、【基本的なやりかたをしっかり教わるように】と言われていました。

Aさんの仕事の教え方

一番最初に指導してくれたのがAさんでした。

Aさんの教え方は、

『これは俺のやり方なんだけど〜』が口グセでした。

ひととおり仕事を教わったものの

『これが俺のやり方だから、ま、自己責任で?みたいな?』

という感じで結局基本的なやりかたは教えてもらうことができませんでした。

Bさんの仕事の教え方

次に指導してくれたのがBさん。

言葉遣いも丁寧で、人を褒めて伸ばすようなタイプ。

『うんうん、そうそうそう!いいねぇ〜その調子!しっかりとできとるよー』

Bさんに教わったことを仕事の後半で実践してみると、出来ているところはしっかりと褒めてくれ、そうでないところは優しくやり方を教えなおしてくれる方でした。

途中悩んだりやり方を忘れて飛ばしてしまったときも

『うーん、途中微妙なところもあったけどさー、まぁ事故ってないからOKっしょ笑』

このように若干テキトーに思える面もありましたが、経験豊富なので出来ていないところはしっかりとフォローしてくれる方でした。

Cさんの仕事の教え方

最後に指導に当たってくれた方がCさんでした。

Cさんが一番仕事歴が短いですが、私の視点からは3人の中で1番真面目な人に見えました。

しかし口が悪く、よく『おめー!何度ゆーたら分かるんじゃ!このヤロー!』

教えてもらったことを1度でできないとめちゃめちゃ怒鳴られました。

言葉遣いがとても悪いので、一番怖かったですが、3人の中では最も基本に沿ったやり方を教えてくれる方でした。

なので仕事を教わるなら基本に忠実なCさんに教わるのが一番だと感じたのですが、バディを組むたびに怒鳴られ続けるのでかなりしんどかったです。

このように三者三様、それぞれ独自色の強い方達でした。

この3人にひととおり仕事を教えてもらった後に、事件は起こりました。

とある事件後から明らかにAさんの態度が変わり仕事がしにくくなった

研修で仕事を教わっていく中でこんなことがありました。

Cさん
Cさん

このやり方、誰に教わった? 俺、こんな教え方したか?

私

あ、いえ、このやり方はAさんから教わりました。。。

Cさん
Cさん

適当なこと教えやがって! このやり方は全部忘れろ!いいな!

私

ははははい、すみません。

というようなやりとりがあり、すぐにCさんは【適当なこと教えるんじゃねーぞこのヤロー!】とAさんに対して文句を言ってくれました。

この時点では、

私

やはりCさんが基本をしっかりと教えてくれる人なんだ

と思っていました。

しかし、問題はコレではありませんでした。

この一件からAさんとペアを組んだときに色々嫌がらせを受けるようになります。

教えてもらうことが支離滅裂で私自身もパニックになる

Aさん
Aさん

現場まで500mを切ったらヘルメット被っておけ!

私

はい!

Aさん
Aさん

俺はそんな前からはかぶんねーけど!おめーは基本ちゃんなんだからやれよな!

私

ははははい・・・?

AさんとCさんとのやり合いの後から、私はAさんから「基本ちゃん」と呼ばれるようになり、よく分からない『基本』を色々指示してくるようになりました。

言われる指示がおかしいと思ってやらないと

Aさん
Aさん

『基本』を知りたいんだろ〜?やれよ。俺はやらねーけどな!

私

はい・・・(この人の言う「基本」って一体なんなんだろう・・・)

というようなことがたびたびありました。

Aさん
Aさん

俺は俺のやり方でやる。おめーはおめーのやり方でやれ、自己責任で。

私

(私のやり方もなにも、基本が知りたいのに・・・)

というように、基本的な仕事はほとんど教えてもらえず、自己流のやり方が自分のやり方だと譲らず、どうしてよいか次第に分からなくなっていきました。

「頭で理解するんじゃない、身体で覚えろ」と、まとめノートを禁止される

Cさんが1番基本に忠実でしっかりと仕事を教えてくれると感じはじめていたある日のこと。

前回教えてもらった手順のやり方の順番を間違えてしまったときに、

Cさん
Cさん

おめーよぉ!これ前回教えたよなぁ!なんでできねーんだよ!!

私

すみませんすみません・・・

Cさんは同じことを何度も言うのが嫌いで、1度でできないとすぐにブチギレるところがありました。

私自身一度に理解できないことの方が多いので、その日教えてもらった仕事についてはその日のうちに教えてもらったことをひとつひとつ思い出しながら手順をメモ帳に残すようにしていました。

メモを見ながらであれば少し時間はかかりますが手順を確認することができるので良いと思ったからです。

Cさん
Cさん

おい!なにメモ帳なんてみながら仕事してんだよ!

そんなのしまってやれよ!仕事ナメてんのか!?

私

すすすみません。手順が抜けたりするといけないのでメモを確認しながらやってました。

Cさん
Cさん

そんなん見てっからいつまでたってもできねーんだよ!

頭で覚えるんじゃない!身体で覚えろよ!

このように言われ、今後一切メモを取るのを禁止されました。

それでなくても覚える手順が膨大にあるのにそれを一度見ただけで覚えると言うのが、私にとってキャパオーバーでした。

メモを取るのを禁止されて以降、仕事が終わってからブツブツと独り言を言うようになり、これが症状が発症した際の

  • 独り言を言う回数が増えた
  • 妻との会話のキャッチボールができなくなった

これら適応障害・心身症・過敏性腸症候群発症の際の原因のひとつになった可能性があります。

誰も真実を知らない中、噂話や推測におひれがついて自分に返ってくる。そしてついに限界を超えてしまった

4月中旬から◯◯産業に出向になったわけですが、指導員を含め◯◯産業の人たちから【どうして出向してきたのか】ということをよく質問されました。

私

私自身もはっきりと説明を受けてないので分からないんですよ。

こんな受け答えしかできないことから、彼ら同士でこの話題になるとこういう理由があるんじゃないか、こういうことが考えられるなというように、色々推測が飛び交うようになります。

そんな指導員たちの推測話がいろいろな人を伝って私の耳に入ってくるのですが、私もはっきりとした情報を持っているわけでもなかったので、段々と彼らに言われることが本当かもしれないと思うようになってしまいました。

  • 今、現場でやっている研修も数ヶ月後には役に立たなくなる
  • それは私の働くところがここではなくべつの現場だからだ
  • 別の現場はひと月家に帰れないこともある
  • 「自宅から通えるから出向しようよ」という人参をぶら下げられて、会社に振り回されている
  • 社宅はまだ赴任先に残してるんだろ?また飛ばされるよ

このような噂話や推測がいかにも真実のような感じで私の耳に入ってくるようになりました。

かといって会社に『出向の目的をしっかりと説明してほしい』とお願いしても返ってくるのは【決まったら説明する】という定型文だけでした。

出向が始まってひと月が経とうとしても、詳しい説明を聞かせてもらうことができませんでした。

こうしたことがいくつも重なっていき、自分で正常な判断をするということができなくなっていきました。

このように様々な前兆が積み重なっていった結果、5月16日に原因不明の下痢となって身体の異変が表面化することとなりました。

嘘の情報に本当の情報がちょっとずつ混じっているため、はっきりと嘘か本当かを見抜けなくなった

上記に挙げた嘘か本当かわからない噂話や推測も、私自身はっきりとコレは本当、コレは間違いと言い切るだけの根拠を持っていなかったことが私のキャパオーバーを誘発した可能性が高いです。

社宅はまだ赴任先に残してるんだろ?また飛ばされるよ

単身赴任が終わって自宅に戻ることになった際に、社宅の家財道具はそのままにしておくように会社から言われていました。

【契約がまとまったら詳しく説明するからとりあえず家財道具は置いたまま自宅に帰ってくれ】

というのが出向が始まる直前の会社側の回答でした。

【決まったら説明する】という回答を何度聞いたか分かりませんが、時間的余裕もなかったので自分の身ひとつで自宅に帰り、出向が始まっていました。

そのため噂話ではありますが、【また飛ばされるよ】というのは意外にも信憑性があるように私には思えました。

「自宅に帰れる」という人参をぶら下げられて会社に振り回されている

出向の契約自体まとまってないけれど、【自宅に帰してやる】という人参を差し出せばいうことを聞いてくれる、というかなり信憑性のありそうな話もありました。

実際、単身赴任生活も2年半に渡っており早く家に帰りたいという気持ちが強かったのも確かです。

会社にそのような意図があったかどうかは分かりませんが、その人参をぶら下げられたら私はかじりついていたのは間違いありません。

私が働く現場はココではなく別の現場だから今やっていることは無駄になる

これは指導員から言われたことです。

私が出向した時点では、指導員が3人現場に入っていれば問題なく回すことができる状態でした。

そんな状態で私が出向してきたので、指導員たちも【この現場に4人目を入れる必要があるのか?】という疑問があったようです。

となると研修としてココの現場で指導を受けているが、今後は別の場所に飛ばされる可能性が高い、というのが指導員の中での推測でした。

ココの現場と他の現場では要領が違うので今やっていることは無駄になる、という指導員たちの見解が私の耳に入ってきたのでした。

会社同士の話し合いがどのようになっているのかを一切知らされていなかったので、現場で長くやっている人たちの推測はあたかも本当であるかのような錯覚に陥らせるには十分でした。

まとめ

以上のように出向の内容を全く知らされないままに現場での研修がスタートしたわけです。

指導員ごとに教えられる内容が異なっていたり基本的な仕事のやり方を教えてもらえなかったり、はたまた仕事のやり方をまとめたノート禁止令が出たりと色々なことが短期間のうちに重なるように起こりました。

これまでの仕事のやり方を否定されたような出来事が起こりすぎたことで、私が許容できるキャパシティを超えてしまうには十分だったように思います。

冒頭にも書きましたが、私が出向するに当たってどのような目的でどれくらいの期間、どういうことを教えれば良いのかといったようなことをあらかじめ知らされていれば、今回ココまで悩む必要がなかったかもしれません。

今あらためて振り返ってみると、事前にある程度、目的や趣旨などを周知させていれば変な噂話や推測も立たず乗り切ることもできたのではないかと思うのです。

現場の誰一人として、私が出向してきた理由を知らされていないことが1番の原因ではないかと思っています。

次回は、適応障害で休職することになった私のお金事情についても少し触れてみたいと思います。

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