生活環境の大きな変化に身体がついていけず、適応障害を発症しました

2022年5月下旬、妻に連れられて病院に受診したところ、適応障害・心身症・過敏性腸症候群と診断され、その日から私は休職することになりました。

一時期はブログを書けるほどの精神状態ではなかったのですが、症状がピーク時と比べればだいぶ落ち着いてきたことと気持ちを整理する意味でも何かに残しておこうと思いブログに書くことにしました。

この記事では、私が適応障害を発症するまで、また自宅警備員になってからの生活、社会復帰に向けての活動などを書いていきます。

同じような症状で悩む方への一助になればと思います。

以下の記事でも適応障害を発症したときのことをまとめています。合わせてご覧いただけると嬉しいです。

適応障害・心身症・過敏性腸症候群は、出向時期と合わせて発症しました

2022年4月中旬に、2年半にわたる単身赴任生活が終了して自宅に戻ることができました。

そしてこの4月中旬から私の生活スタイルが一変しました。

適応障害が発症するときの原因の一つに「生活環境の大きな変化」というのがあります。

新しい生活環境に自分の身体が順応することができない、過度のストレスを抱え込んだりすると発症することがあるようです。

自分の生活を振り返ってみると、この生活環境の大きな変化というのが、4月中旬にあたります。

この生活環境の変化があったと思われる4月中旬を基準として、その前後についてそれぞれまとめてみました。

2022年4月中旬までの生活

単身赴任先での仕事は、基本的に就業時間は8時半〜17時で、よほどのことがない限りは残業はありませんでした。

たまに遠方への出張で帰宅が23時を回ることもありましたが、数ヶ月に1度あるかどうかでしたので、基本的には定時に帰宅することができていました。

業務内容は、売上伝票の作成や資料・報告書の作成がメインで、たまに上司とともに周辺の関係会社の挨拶回りに出かけたり、下請け会社へ挨拶周りに行ったりすることもありました。

転勤と同時にコロナ過渡期へ

2020年1月に単身赴任生活が始まりましたが、そこに新型コロナが直撃しました。

単身赴任の際に会社から言われていたことは【赴任先での販路拡大】でしたが、コロナが蔓延する中での営業周りはほぼ壊滅に近い状態でした。

2021年9月ごろまで当初の目的である販路拡大のための営業周りがほとんどできていない状態に、ついに会社としても費用対効果が見込めないという判断をするようになります。

出向以外自宅に戻る術がないと悟る

そこで会社側は営業所を閉鎖して人員を違う部署へと異動させる人事の検討を始めます。

このような経緯で会社からは、『(一時的に自宅から通勤できるようにするので)◯◯産業へ出向してみないか』という提示を私は受けました。

この掲示を受けたのは11月中旬でした。

当時の私はこの提示を受けなければ自宅に戻る術はないと思い、出向を受け入れることにしました。

というのも私以外の営業所の人間が、経営悪化を理由とした雇い止めや退職勧奨を受ける社員がいたことから、この提示を受け入れなければ私もその処遇がどうなるのか想像できなかったからです。

いつまでも見えてこない出向の中身

とりあえず出向することを承諾した私ですが、今の会社から出向先へどのような条件で行くのかについては聞かされていませんでした。

  • 出向の目的
  • 出向先での業務内容
  • 出向期間
  • 出向先での勤務地
  • 最初の説明から実態が乖離していく

一番初めにこの話を受けた時にいろいろ質問したのですが、会社からは『正式に決まったら内容は伝えるから』とだけ言われました。

このときには出向時期は4月中旬と言われていたので、さすがにそれまでには詳細は分かるだろうと考えていました。

しかし、年が明けて2022年になっても一向に出向内容について知らされることはありませんでした。

2月下旬に会社から【まだ出向前だけど出向先に行って仕事をちょっとでも教えてもらっといて】と言われます。

何の仕事をするのか分からないままでしたが、行ってみれば何かわかるだろうと思い、フライングの指導教育がはじまりました。

教育期間中に事故に遭い全治3週間

2022年2月下旬から契約期間前でありながら出向先での指導教育がスタートしました。

そんな矢先、訓練指導中に不注意から足を負傷し、全治3週間の安静療養となりました。

会社側が少しでも早く仕事に慣れさせたいという思惑があったのだと思いますが、この怪我で3月いっぱい働くことができませんでした。

3月中は閉鎖が決まっている営業所整理がメインの仕事になりました。

ちなみに社宅から営業所までは普通であれば10分ほどで行ける距離でしたが、松葉杖で向かうと1時間もかかり、会社に着く頃にはヘトヘトでした。

他の社員は退職勧奨を受けたり別の部署へ既に異動になっていたため営業所の整理等は私一人で全て行いました。

もうすぐ4月になろうかというときに、あらためて上司に出向について詳しい説明をお願いしたのですが、この時点でも【決まったら説明する】という何度聞いたか分からない同じ回答が返ってきました

出向前までの出来事まとめ

とりあえずここまでが出向前までの出来事になります。

さすがに出向する日までには何かしらの回答はあるだろうと淡い期待を抱いていましたが、結局出向がはじまる前日になっても何の説明もないまま出向生活がスタートしました。

何度出向についての詳細を教えてほしいとお願いしても、あいかわらずの【決まったら教える】というスタンスを崩さない会社側の説明に私の中で不信感が募っていきました。

出向前の状態

出向契約がスタートする前のフライング研修のときに、出向先の◯◯産業から業務内容を簡単に教えてもらうことができましたが、詳細については会社に確認するように言われました。

  • 出向の目的(会社からの説明は無し)
  • 出向先での業務内容(出向先からは簡単な説明あり/会社からは無し)
  • 出向期間(会社からの説明は無し)
  • 出向の話をもらったときには自宅から通える仕事と聞いていたが、◯◯産業の説明では研修が終わると単身赴任先に戻されると言われた

4月中旬以降の生活(出向後)

一変した就業時間

4月の中旬より◯◯産業に出向となった私の生活環境は一変しました。

まず大きく異なっていたのが就業時間でした。

就業時間がその日ごとに異なっている変則労働制でした。

あくまで一例ですがざっくりいうと、こんな感じです。

  • 2:00〜11:00
  • 3:30〜16:00
  • 5:00〜12:00
  • 6:00〜14:30

こんな感じで出勤時間がその日によって違っていたことです。

この時間は始業時間なので、例えば2時出勤の場合には0時過ぎには起きて仕事に行く準備をする必要があります。

また、就業時間の後に後片付けの名目で1時間ほど残る日もありました。

翌日の予定が仕事後に伝えられるので自分の予定が全く立てられない

以前の就業時間と全く違っていたことのほかにもうひとつ、私を悩ませたことがありました。

それは翌日の仕事の予定が当日の仕事が終わってから伝えられるということでした。

例えば当日の終業時間が16時だった場合、翌日の仕事がわかるのは16時に終業の連絡を入れた時点で明日の予定を会社から伝えられるということです。

せめて1週間程度のおおまかなスケジュールが分かるような体制だったら私自身生活スタイルをある程度調整することもできたのかもしれませんが、それがまったく出来なかったことは私にとって大きなストレスとなりました。

仕事を教えてくれる指導員にそのことを聞いてみると、もう何十年もそのスタイルで仕事をしているので当たり前のこととして捉えているようでした。

とりあえずこの予定を立てることができないということが、私の生活スタイルの変化として最も影響を受けた部分であり、ストレスが溜まっていく原因のひとつになったと思います。

これまでの常識が全く通用しなかったことに衝撃を受け、このやり方を受け入れていかなくてはいけないということにストレスを感じはじめたことで、私の中の歯車がいろいろとおかしくなっていったように思います。

私を含め現場で誰もが詳細を知らされていなかった

そして、適応障害・心身症・過敏性腸症候群の発症にとどめを差したと思われるのが、私を含む現場の誰もが出向について詳細を知らされていなかったことです。

そのため、現場で指導に当たってくれた指導員すらも私に仕事をどこまで教えて良いのか分からないと言われました。

しっかりとした内容を誰ひとり知らない状態の中で指導員から聞かされたのは、この出向に理解してくれる従業員、そもそも出向に反対の従業員、我関せずと無関心の従業員と社内統制が取れていないと言われました。

このような状態であらためて会社には詳しい内容の説明をもとめましたが、【決まったら説明する】の一点張りですでに出向が始まっているにもかかわらず、『何も決まってないのか、それとも説明したくないのか』と思うとやるせない気持ちでいっぱいになっていきました。

事前の説明で、ある程度出向についての説明を受けていれば業務の受け止めが出来ていたかもしれませんし、また研修をしてくれる指導員もその目的に沿って教育をする、ということができていたかもしれません。

このように誰も目的を知らされていないという状態であったことから、指導員を含め周りの人たちがいろいろ推測するようになり、そうした根拠のない憶測がさらに私を追い詰めていくのでした。

まとめ

今回は適応障害が発症するターニングポイントとなった4月中旬を基点としてその前後での生活スタイルの変化に焦点を当てて深掘りしてみました。

就業時間が定時制から完全なる不規則労働に変わったことは少なからず適応障害発症の一端を担っているのではないかと思います。

新しい環境にうまく順応できなかったことも原因に挙げられますが、何よりも会社側からの説明が何一つなされないままに出向が始まってしまったことも、自分の中での不安要素を増大させる要因になってしまったと思います。

次回の記事では、私が適応障害になったと思われる他の要因についてもうすこし深掘りしてみていきたいと思います。

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