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天草で独自の発展を遂げた十五社宮とは
天草市を中心に独自の発展を遂げたとされる十五社宮ですが、まずはこちらをご覧ください。
このように十五社が天草市一帯に広がっていることが分かります。
先日訪問した楠甫神社も十五社宮のひとつとされていますが、本日訪問する佐伊津神社も十五社宮のひとつ。
この十五社が天草で広がったのには少し時代を遡る必要があります。
阿蘇神社の創立
阿蘇神社は紀元前282年に熊本県阿蘇市に創立され、現在までおよそ2300年の歴史を誇ります。
阿蘇神社は阿蘇山には神がいるとする火山信仰が起源とされています。
そのため、御祭神のひとりである健磐龍命神(タケイワタツミノミコト)は阿蘇山の火山神として祀られています。
阿蘇十二明神
御祭神のひとりとして健磐龍命神(タケイワタツミノミコト)がいますが、阿蘇神社には阿蘇十二明神として12の神が祀られています。
- 一宮:健磐龍命(阿蘇都彦命)は初代神武天皇の孫にあたる
- 二宮:阿蘇都比咩命は一宮の妃で三宮の娘
- 三宮:國龍神は二宮の父で神武天皇の子
- 四宮:比咩御子神は三宮の妃
- 五宮:彦御子神は一宮の孫
- 六宮:若比咩神は五宮の妃
- 七宮:新彦神は三宮の子
- 八宮:新比咩神は七宮の娘
- 九宮:若彦神は七宮の子
- 十宮:彌比咩神は七宮の妃
- 十一宮:國造速瓶玉神は一宮の子
- 十二宮:金凝神は一宮の叔父
家族神12神とも呼ばれたりもします。
この阿蘇十二明神を祀る神社は全国に約450社あるとされています。
この阿蘇神社が創立された時代は肥後国(ヒゴノクニ)と呼ばれており、もともとは火の国(ヒノクニ)と呼ばれていたとのこと。
阿蘇神社が火山信仰であったことを考えると火の国と呼ばれていたのにも納得できるのではないでしょうか。
また、天草は肥後国に属していたため阿蘇神社の影響を受けていたというのは想像に難くありません。
では、この阿蘇神社と天草に広がる十五社宮との関係はどのような背景があったのでしょうか。
実際に神社庁に問い合わせてみました
今回の件を調べている際に、全国にある神社を総括する団体があるということを知りました。
それが神社庁です。
神社庁は神道系の宗教団体としては日本最大規模であり、約8万社ある日本の神社のうち7万9千社以上が加盟しています。
あのー、天草の十五社宮と阿蘇神社との関係について調べているのですが…
神社庁の人
天草の十五社が独自の発展を遂げたというのを知ったのですが、その辺りの時代背景なんかがわかると助かるのですが…
神社庁の担当者
ふむふむ
担当者
へぇぇ、そうだったんですね。氏神様から十五社になったいきさつは分かりますか?
担当者
それは興味深いですね。では残りの3神は、やはり天照大神や神武天皇、神八井耳命が御祭神にあたるのですか?
担当者
なるほど!天草独自の発展という言われ方をするのが腹落ちした気がします。ありがとうございます!
担当者
このやりとりのおかげで、天草に広がる十五社宮と阿蘇神社との関係性がだいぶ分かってきました。
調べても分からないときには知っている人に聞いてみるというのが正解ですね。
「天草独自の発展を遂げた」とされる意味とは
以上のやりとりから、天草に広がる十五社宮と阿蘇神社との関係、十五社宮の成り立ちがかなり鮮明に見えてきました。
これらを簡単に表すと、こんな感じでしょうか。
火山信仰として神道系。阿蘇十二明神。
文献ではこの頃熊本県は肥後国であった。天草地方も肥後国の一部だった。
氏神神社の創立年等は不明
かの有名な日本の歴史史上最大規模の一揆
天草の各地に新たに神社を建て替える案もあったそうだが、元々あった氏神神社を利用しようとする意向があったようで、氏神神社が十五社宮へと変化していった。
阿蘇十二明神を御祭神とすることは統一されたものの、残りの3神については各々の地で祀っていた神を残したため、天草にある十五社宮の3神については統一されないまま現在に至る
タイムラインで見てみるとこんな感じでしょうか。
幾分分かりやすくなったでしょうか。
今回は天草に広がる十五社宮と阿蘇神社との関係、天草の十五社の成り立ちについて見てきました。
だいぶ長くなってしまったので、本日到達した佐伊津神社についてのご紹介は次の記事でご紹介しようと思います。