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鮮やかな朱色がポイント、赤間神宮
今回は当ブログ恒例のウォーキング旅行ではなく実際に行ってきた神社についてご紹介していきたいと思います。
写真から伝わる印象とは全く異なる神社独特の雰囲気などもしっかりと感じることができたので合わせてご紹介できればと思います。
赤間神宮とは
本日実際に訪問してきたのは、山口県下関市阿弥陀寺町にある赤間神宮です。
ごらんのとおり見事に朱く染まった鮮やかな色使いが見ていて大変気持ちいいです。
療養中ながら実際に現地に来てみてよかったと思いました。
所在地の地図を見ても分かりますが、ちょうど関門海峡の境目にある神社になります。
神社から眺める関門海峡も素敵でした。
赤間神宮の御祭神と由来
赤間神宮の御祭神は、第81代天皇である安徳天皇です。
わずが8歳で崩御したため、歴代天皇の中で最も短命な天皇になります。
壇ノ浦の戦いで亡くなった安徳天皇を祀るために建てられました。
第二次世界大戦で社殿が消失しましたが、1965年に新しく社殿が建ち現在に至ります。
平清盛を中心とした平氏政権に対して反乱が起こりました。
最終的には平氏が戦いに敗れ、源頼朝が鎌倉幕府を開くこととなります。
この一連の戦いは一般的に「源平の戦い」と呼ばれています。
この中で下関の壇ノ浦で起こった戦いを、壇ノ浦の戦いといいます。
赤間神宮境内見取り図
赤間神宮に入ると境内の案内図がありましたので撮影しました。
はじめの写真にあったのは案内図中央の水天門になります。
見事な朱色に思わずうっとりしてしまいました。
この表門でもある水天門をくぐっていくと見えてくるのが本殿となるわけですが、その手前に狛犬の像が2体建てられています。
赤間神宮が赤い理由は竜宮城をイメージしている
狛犬の像を越えて先に進むと本殿が見えてきました。
水天門だけでなく本殿も鮮やかな朱色で見事ですね。
赤間神宮は入り口から本殿に至るまで色鮮やかな朱色に染まっています。
見ているだけでその凄さはひしひしと伝わってきますが、赤間神宮が赤い理由は少し切なさを感じさせてくれます。
御祭神である安徳天皇はわずか8歳で亡くなりました。
壇ノ浦の戦いで敗れ、入水して亡くなる際に次のように言ったとされています。
「どうして水の中に入るの?」
「これから極楽浄土へお連れします(水の中に竜宮城がある)」
このようなやりとりがあったとされています。
これから入水する安徳天皇を怖がらせないようについた心遣いですね。
こうした経緯から、赤間神宮は竜宮城をイメージして建てられました。
赤間神宮十三重御宝塔(水天供養塔)
赤間神宮の横、耳なし芳一の御神像へと向かう道にあるのが赤間神宮十三重御宝塔(水天供養塔)です。
十三重に重ねられた塔が3つ建てられているのですが、撮影するのを忘れてしまいました。汗
安徳天皇は在位中に入水したことから水天皇や水天宮とも呼ばれています。
このことから大戦中に水没して殉職した人々の霊を水天皇(水天宮)に鎮めてもらうためにこの塔が建てられました。
りっぱな十三重の塔が3つも並んでおり、撮影忘れを非常に悔いました。
本殿の奥に耳なし芳一の御神像と平家の墓がある
水天供養塔をさらに奥へと進むと耳なし芳一の御神像があります。
看板もあるのですが、見落としやすいため知っていないと行かずに帰ってしまいそうになります。
耳だけお経を書くのを忘れてしまい、耳を悪霊に食べられてしまうという怪談話です。
耳なし芳一が唱える念仏が平家の魂を鎮めている?
こちらの御神像に近づいてみるとうっすらとお経が流れているのが聞こえます。
耳なし芳一がお経を唱え続けているため霊を鎮めていると思われます。
耳なし芳一の御神像をさらに奥へと進むと平家の墓があります。
なんだかこれは撮影してはいけないような気がして写真には納めませんでした。
平家の墓と耳なし芳一の御神像の位置を見ると、平家の魂を耳なし芳一が鎮めているとも考えられますね。
大連神社と紅石稲荷神社
本殿の右奥へと進んでいくと鎮守八幡宮があります。
さらに細い道を通って奥へと進んでいくと、大連神社と紅石稲荷神社があります。
ここからは大連神社と紅石稲荷神社についてご紹介していきます。
本殿手前にある狛犬は大連神社のもの
正面から撮影するのを忘れてしまい、後ろからのみとなってしまいました。
狛犬の髪型が日本っぽくないのと体に紋様が描かれているのも特徴的だと思い後ろ姿を撮影しました。
こちら本殿手前にある狛犬2体はもともと中国の大連にある大連神社から持ち帰ったものです。
大連はもともと第二次世界大戦時までは日本の租借地として統治していました。
終戦後、大連神社にて祀られていた御神体と御神宝は国内に持ち替えられました。
見た目が少し日本的ではないなぁと感じたのも、そもそも大連で作られたものだからなんですね。納得。
大連神社の拝殿手前に由緒がありました。
由緒に書かれた文字が薄くなっており読みにくかったのですが、御祭神は次の通りです。
- 天照大神
- 大国主神
- 明治天皇
- 靖国神
社殿前に咲いている梅(桜?)の色合いがとても良かったので撮影しました。
以前も当ブログで記事にしたことがありますが、神社は基本的に境内の周囲は林で取り囲まれています。
ここ大連神社の奥もご覧のとおり木々に囲まれていますね。
神社を木や林で取り囲むのは俗世と神域とを区別するために植えられています。
このように林で周囲を覆うことで俗世の物音も聞こえにくくなり神社境内ならではのゆっくりとした時間を感じることができるのかもしれませんね。
紅石稲荷神社
大連神社をさらに奥へと進んでいくと見えてくるのが紅石稲荷神社になります。
こちらの神社も赤間神宮と同じように見事な朱色に染まっていますね。
こちらの神社の由来を見てみると、京都伏見稲荷神社に勧請して建てられたのがこちら紅石稲荷神社になります。
安徳天皇の霊を鎮めるために建てられた神社なので拝殿が朱色になっているのでしょう。
壇ノ浦漁釣船由来記
ここ紅石稲荷神社に向かう途中に見えてくるのがこの釣船になります。
現在、当時の船はここに展示されている1船のみとなっており、歴史的に見てもかなりの重要文化財であるといえるのではないでしょうか。
壇ノ浦の戦いが1185年なので今から約830年前のものになります。
安徳天皇が入水したときに使われた船ではありませんが、当時の人々が使っていた船がどういうものだったのかを知るのには非常に役に立ちます。
この写真は関門海峡手前和布刈公園展望台に描かれた壁画です。
こちらは壇ノ浦の戦いを描いたものですが、ここに描かれている船と酷似していることがわかりますね。
連鳥居があるのもここの魅力
これは紅石稲荷神社へと向かう通路に建てられた連鳥居になります。
京都伏見神社などの本家とは異なり距離は約15m前後と短いですがそれでもやはり見事な色合いです。
当ブログでも何度も扱っていますが、鳥居には特別な意味があります。
私たちが住んでいる世界(=俗世)と神が棲む世界(=神域)との間にあるのが鳥居です。
また思いが成就した際に鳥居を納めることで連鳥居になることからこの鳥居をくぐっていくと願いが叶うとも言われています。
紅石稲荷神社自体はこじんまりとした神社ではありますが、800年前の釣船と連鳥居を見るだけでも最奥まできた甲斐があると思います。
赤間神宮を堪能して関門海峡を眺める
赤間神宮をひととおり堪能し外に出ようと水天門へと向かいます。
入り口側から見ても素敵な建物でしたが、内側から見てもまさに見事の一言です。
ここをくぐればまた俗世、わたしたちの日常の世界に戻ります。
そんなことを考えていたら、水天門の奥に見える関門海峡が見てみたくなりました。
晴天にも恵まれて赤間神宮の入り口から見える関門海峡の眺めも壮大で素敵でした。
海外からやってきたのか大型船も見ることができて個人的には大満足な参拝となりました。
まとめ
今回は源平の戦い、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇が供養されている赤間神宮について場内を案内いたしました。
今回は非常に収穫のある参拝になったなぁと思っています。
足を怪我して治療のため有給休暇を取ったものの自宅でじっとしているのが苦手で来てしまいましたが、無理してきた価値はあったような気がしています。
また、今後も実際に行ってみた神社仏閣については随時ご紹介していきたいと思いました。
本日は最後までご覧いただきありがとうございました。